以前からおもに昆虫の見せる「擬態」なる現象に興味がありました。
昨今デザイン界隈で喧しい話題にからめるなら、さしずめ「パクリ」だとも言えるでしょうか(笑)
しかし、自分の生存形態そのものを変えるわけですからパクリだとしても文字通り命がけです。
今回取り上げる図鑑は『昆虫擬態の観察日記』
自然写真家の「海野和男」による擬態昆虫のオンパレード。 平成19年7月25日初版 株式会社技術評論社 刊。

昆虫写真家の海野先生ならではの素晴らしいカラー写真が豊富に掲載されています。
「隠蔽型擬態」の昆虫など、写っていてもどこにいるのか分からないものもたくさん!
さてさて、私が擬態に興味をそそられるのは生存戦略として、昆虫があまりに「デザイン的な」指向をとるということが不思議で仕方ないからです。
強い蜂の模様に似せてみたり、誰もが興味のない鳥の糞に似せてみたり…
(こどものころ、よく「
トリノフンダマシ」という蜘蛛を見かけました。最近ではめったにお目にかからないのですが…)
アゲハチョウの幼虫も小さいころは鳥の糞にそっくりです。
しかし、しかしですよ、このような形態は高い所から見てはじめて役に立つわけです。彼らはどのような視座からそのようなビジョンを獲得したのでしょうか?
一般的に昆虫類は人間はじめ脊椎動物とは異なる光を感知していると言われています。蝶などは紫外線を感知しているとか。つまり彼らの戦略はもっとも脅威である「鳥類」の視覚に対して間違った情報を与えるためのものと推測できるのですが、そのような視点(つまり鳥から自分たちがどのように見えているか)をどのようにして獲得したのでしょうか?自分たちが感知している視覚世界とは全く異なるはずなのに…
極め付けは、これ。 「ムラサキシャチホコ」。
この枯葉がカールしたような模様、動画で見るとよく分かりますが、平面に描かれた「絵」なんですね。いわば3Dのだまし絵です。
よく見ると上面からの太陽光を計算して徐々に暗くなるグラデーションや、光の当たったハイライト部、葉の厚みまで描かれています。ご丁寧に虫食いのような欠けまであるし!
私はたまたま突然変異によるこのような形質を持った個体が生き残った、というようなダーウィン的な仮説を信じていません。ここまでスーパーリアルな模様に体表面の色情報が収れんする確率など無に等しい筈だからです。(また中間形態がいっぱいいてもいいはずだし。)
一般に方向性のない変化によってある具体的な形質が描かれることは有りません。岩や木が風化によってミロのビーナスや仁王像になるようなことが無いように。
ここからは私のいかれた頭で考えたSFです。
これは意図して描かれたものです!
つまり世界には種を超えた視覚情報などをプールした「クラウド」がどこかにあるのです。それらはもちろん無意識のレベルのネットワークなのでおいそれとはリンクできません。しかし、生物が「生きのびたい」という切実な必要に迫られたときにリンクすることができるのでしょう。
(仏教では「蔵識」や「阿頼耶識」などという意識下のはるか下に万有の起因する領域があるとされています。)
そうしてダウンロードされた情報は身体の遺伝子情報を書き換え、分子生物学的なレベルで身体形状を変容させることができるのです。
さて、まじめな話に戻しましょう。
面白いのは、天敵を倒すような強烈な武器を身体に装備したり(毒や匂い、針、あるいは高温を発するなど)するものもいる一方でこのような模様だけのだまし戦略をとるものがたくさんいるということです。
どうやら身体変容のコストとしては、にこちらの方がお安いのかもしれません、
形質を変化させるべき方向性が分かったとしても、身体の方でそれを実行できるかというとそれはまた別の話です。分子生物学的にどのように模様を変化させる機序が働くのか、その研究はまだ始まったばかりのようです。次の本にその端緒が述べられています。
『似せてだます擬態の不思議な世界』藤原晴彦 株式会社化学同人
やや難しいところもありますが良書です。ただ、写真があまり無いので、その部分は前書で補完してください。
昔、人間に擬態して人を襲う、ずばり『ミミック』なるSF映画もありました(笑)
これから遺伝操作などで人の身体変容が可能になるといろいろと擬態することが可能になるかもしれません。すでに「デザインベビー」の可能性も現実のものとなりそうで…いやいや、イケメンや美女に扮することも捕食のための擬態でしょ、などとうがった見方をすれば、人の生存戦略も昔から変わらず続いているわけで…お後がよろしいようで…
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