大地震から1週間。
実際に被災したわけでもなく、本棚の本が飛び、食器が割れたぐらいですが、あの地震は確かに恐怖でした。もちろん、現地での惨状を思えば、比べることさえ恥ずかしいほどの経験なのですが…
いつもならすぐに収まる揺れが、収まるどころかどんどん強くなっていく。部屋中がきしみ、私は何もできず、ただただ、目の前のパソコンのモニターと本棚が倒れないように押さえているだけでした。ほんとはそんなに長かった筈はないのですが、2分ほども続いたように感じました。本棚の倒れ止めが2本とも吹っ飛んだときにはもうダメかもしれん、と思いました。
その後すぐの余震も1度目を凌ぐかのようにさえ思えました。
とにかく、机の下に入るとか、退避行動など全くできない自分がいました。頭の中にあったのは、押さえているモニターが床に落ちてブラウン管が破裂したら、後片付けが大変だ、ということ(笑)
確かに後から冷静に考えれば、それどころじゃない筈なんですが、思考が停止するんですね。あと、マンションにいると、逃げても仕方ないと普段から思っているということもあります。建物が崩れるような地震ならどの道、命はないと思っているところがあります。
その後からしばらくは大きな余震が続き、その度に夜中でも、携帯の緊急地震速報のブザーが鳴り出すので、不安でよく眠れない日々を過ごしました。これは東日本の方は皆、同じだったに違い有りません。
多くの人がTwitterで地震酔いのような症状を訴えています。私も同じで、いつも新幹線のトイレで用を足しているような不安定な感覚(笑)に苛まれています。
実際、どれだけ地震があったか、このサイトを見るとよく分かります。
Japan Quake Map凄まじいと言うしかありません。
そして、東南海地震や関東直下型が連鎖して起こるのではないか、というような不安もさることながら、今は、福島の原発の事態を固唾を飲んで見守っているところです。
この件に関してはもちろん素人なので、事態の終着点など知るよしもありません。ただ、専門家といわれるような方々でさえ、いろいろと意見が分かれる中、自分が何を判断基準として、どのような行動を取ったらいいのか、多くの情報の中から自分のベクトルを探し出していくという希有な体験をしました。いや、今もしています。
その中で最も有用だったツールはTwitterです。地震直後から携帯が不通になる中、Twitterだけは活きていました。これは詳しくは知りませんが、1パケットで送れるデータ搬送の軽さにあるようです。
そしてネットの集合知を繋ぎ合わせるのにこれほど簡便で即時性のあるツールはないということを実感しました。
もちろん、有象無象のノイズも多いツールで、デマの拡散も早いのですが、その分、それを修正しようとする力も働きます。しかも今回、皆が時と共に、拡散時のフィルタリングを慎重に行うようになっていくのが分かりました。Twitterに関しては皆が今回の経験でいわゆる「ネットリテラシー」というものを向上させたと思います。
そして、テレビやラジオなどのメディア、ネットから集まった情報を判断して自分の行動方向を決めるためには、いくつかの要素があることが分かりました。
1つめは、個人個人の教養です。例えば原発についての情報を判断するためには、多少なりとも物理学に対する理解力が必要です。分からなければそれが分かるような基礎的なところまでネットなどを遡上していく必要があります。ここには海外のサイトから情報を得るための語学力なども含まれるでしょう。
2つめは、個人の感情。放射能汚染のようなよく分からない怖い情報に接して、それに目をつぶってしまうか、それに対峙するか。あるいは、自分と異なった意見に対して、怒りをぶつけたり蔑んだりしてしまうのか、許容するのか。今回は自分も思わず感情的になったりする場面もあり反省しています。とにかくどこまで冷静さを保てるかということ。
3つめには、自分の価値基準です。つまり、あなたは結局、事、ここに及んだときにどうするのか、ということ。結局、これが最も重要なことなのかもしれません。例えば、単純化すると、このような極限の状況に陥ったときに、大切なのは自分の命か、家族か誰か他の人の命なのか、といったようなこと。金なのか、仕事なのか、名誉なのかというようなこともあるでしょう。そんなの簡単に答えは出る筈もありません。そんな判断しなくてもよい日常が続けば良かったのに。夢なら覚めてほしい、と心底思います。でも、今でも現実感のないこの悪夢のような出来事は実際に起こってしまいました。誰もが何かを決断しなければならないときが来るかも知れません。
私はとてもヘタレで情け無い人間です。しかし、今、他の人のために頑張っている人がいる以上、少しでもやせ我慢していられたらと思います。
あー、多分、ストレスの所為で長文になってしまいました。ま、誰も読んではいないでしょう。
今日はこんなときにこそ見るべきSFの名作を観ました。
『ディープインパクト』1998年アメリカ映画。ミミ・レダー監督、スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮。ドリームワークス・パラマウント映画共同配給。
お馬さんではありません。地球に巨大彗星が衝突するというディザスタームービーの定番設定SF。
天文学に詳しい人から言わせると科学考証部分にはやや難があるそうです。そもそも地球直撃コースにある彗星の情報を1年間も隠しておくことは無理だとか。アマチュア天文学者にも分かるそうです。その他、非常に重力の弱い彗星の表面を走ったり・・・
ま、そこらへんは置いておいて、ひょんなことから主人公の女性記者ジェニー・ラーナーが重大な秘密に近づいていくというイントロから、まるで推理もののようで引き込まれます(出てくる10年前のパソコンも懐かしい)。
とにかく女性監督らしく、登場人物それぞれの心のひだを丁寧に描き、ハデさはないものの、甘いところの微塵もないすばらしい映画です。この映画で描かれれているのは、派手なSFアクションではありません。テーマは、いわば「人間の尊厳」でしょう。
宇宙船の船長に扮するロバート・デュヴァルがすばらしい。そして常に最悪の事態を想定して、見事な指導力を発揮する大統領役のモーガン・フリーマンも見物です。今回改めてこれを観て、我が国の政治家と見比べて落ち込んでしまい・・・あ、それじゃ逆効果でんがな!
最後の最後にオマケ。本当の絶望とはこういうこと。これに比べたら、今度の震災に対してどのように向き合うべきか、希望が見えてくるかもしれません。
直径400kmの巨大隕石が衝突したとき、地球で何が起こるのか
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